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看護師になった瞬間から、辞められない圧力に苦しめられる

若崎さん(20代・看護師)

「辞めたいけど、辞められない」

看護師を辞めれば、負け犬扱いされるから。
看護師としてどんなに優秀でも、仲間思いでも、それまでの評判が良くても、看護から逃げた瞬間に烙印を押される。

もちろんそれはただの強迫観念かもしれない。
でも多くの人が一度は感じたことがあると思う。

私自身「あの人看護師辞めたんだ。逃げたのかな…」と思ってしまう。


看護師に向いている優秀な人は、医療の世界を楽しめるだろう。
でも大多数は敗者となり苦しんでいる。

勝者に価値があるのは、その数が少ないから。

スポーツだって同じ。
1位になれるのは1人だけ。
プロとして生計を立てられるのは一握り。

ほとんどの人はどこかで自分の限界を知り、挫折し、諦める。
それは劣等感として残ることもある。

看護師の世界も同じ。
順調に登っていけるのは一握り。
大多数はいずれ自分の限界を感じることになる。

それでも医療という現場は、成長し続けることを強制してくる。
目標管理、ラダー、資格取得や勉強会。

「私はもう辞める!!!」

などと言えば、

「ダサw」
「負け犬じゃんw」
「情けないよねw」

看護師は、同じ看護師にとても厳しい。
看護師は仕事を続けるのが普通。
役職や難関資格を取り、ようやく普通以上になれる。

これは終わりのないレースである。
結果を出せない普通以下の人たちは、屈辱を感じながら「いつかは自分も」「いつかは見返してやる」と成功者を追う。
でもそれは成功者も同じ。
「追い越されてなるものか」と恐怖におびえ、必死に食らいつく。
足を引っ張りあいが、永遠と繰り返される。

私たち看護師は、資格を取った瞬間から、この地獄のレースに巻き込まれる。
正確には看護学校に入った瞬間からかもしれない。
退学した者は負け犬でしかなかった。


でもこのレースの残酷さは、誰の目からも成果が見えやすいことである。
成功者としてトップを走っていても、何かの拍子につまずけば、一気に追い抜かれ、敗者となる。

それを多くの人に失笑される。
「かわいそうな人」だと。

このレースの敗北は、仕事の失敗に他ならない。
しかし「人間としての価値が無い」と置き換えてしまいがちだ。
その結果として、自ら死を選ぶ人もいる…。


「女はいずれ家庭に入る」

確かにそうかもしれない。
でも専業主婦が許された時代は終わっている。

昔は家庭を守っているだけで価値があった。
でも今は「外で働いて当たり前」の時代。
家庭を守っているだけでは、普通以下である。

いずれまた医療の世界で働かなければいけない。

だからこそ若いうちに必死に働き、スキルを高めておきたいと考える。
いずれ来る家庭と仕事の両立のために。

そこから堕落すれば、負け犬と呼ばれ、蔑まされる。
看護の世界の過酷さは、一般の方々にはなかなか想像できないかもしれない

「看護師なんて辞めちゃえば?」

と、言われることもあるが、それができない見えない圧力があるのだ…。
これが心底苦しい…。



私は20代中盤でこのレースを降りた。
負け犬になったのだ。

でも今はまた看護師として働いている。
以前のような最前線の職場じゃないけれど、それなりに楽しめている。
お給料もそこそこもえらえている。
以前よりは減ったが、一般の同年代よりは貰えているし、職に困る心配もない。

苦しむだけのレースなら、下りてしまえばいい。
楽に生きられるから(もちろん辞めた直後は大いに苦しんだが)


「そうした道もある」と若い子達に知ってもらいたく、この記事を書いてみた。
最後まで読んでくれてありがとう。